2025年4月8日火曜日

入学式

 式辞

 玉島名産の桃の花が鮮やかに咲き誇る今日の良き日、多数のご来賓の皆様のご臨席をいただき、2025年度入学式を挙行できますことは、我々教職員にとりましてこの上ない慶びであります。御多忙のところ御臨席いただきました御来賓の皆様に感謝申し上げます。

 先ほど入学を許可いたしました210名の皆さん、御入学おめでとうございます。作陽学園高校は1930年、昭和5年に岡山県北部津山にて開学をしました。現在までに2万7千人近くの卒業生を輩出している歴史のある学校です。そして2年前、90年以上にわたり教育活動をおこなった津山から、ここ倉敷市玉島に移転開校をいたしました。在校生を伴って引っ越しをするという全国でも類を見ない大事業です。一般的に人は安定を好み、変化を嫌う傾向があります。ましてや伝統や歴史のある組織ではなおさらだと思います。本校の移転事業も計画段階から実行に至るまで多くの難問がありました。そのような中で「変わること、変えることを恐れない」攻めの姿勢でこの事業を実行しました。作陽学園高等学校は多くの著名な卒業生、特にスポーツ分野においては世界に誇れる卒業生がたくさんいます。その卒業生たちの特徴として、在校中の成長はもちろんですが、卒業後に大きく飛躍するということがあります。これは卒業生たちが作陽学園高等学校のマインドを受け継ぎ、攻めの姿勢を継続していることに起因しているのだと思います。

 作陽学園高等学校の校訓は「念願は人格を決定す 継続は力なり」です。念願とはその人が持っている夢や願いです。私たちは夢や願いを持つことで自分がどうあるべきかどうすべきかを考えるようになります。そして夢や願いをより強く持つことで頑張り続けることができます。その頑張りの継続がやがて自分の力となるということを校訓は表しています。君たちは、それぞれに夢や願いを持っていると思います。作陽学園高校で君たちの持っている夢、願いは実現可能です。そのためには今までの自分を変えること変わることを恐れず、積極果敢に攻めの姿勢で挑戦していくことが重要です。自分の思いをここで今一度確認し、将来に向けての夢、願いを強めて高校生活を始めてもらいたいと思います。しかし中にはまだ夢探し中の人もいるかもしれません。そういう人は今日ここに集まった仲間と一緒に自分の夢を探してください。高校時代しか経験できない仲間作りも楽しんでしてもらいたいと思います。

 保護者の皆様、御家族の皆様、ご入学おめでとうございます。我々教職員は、皆様方が大切に育てられたお子様をお預かりいたしましたことに責任を持ち、皆様方の思いをしっかりと受け止め、全力を尽くして生徒一人ひとりの教育にあたる所存であります。しかし高校3年間のお子様が自立していく過程で葛藤や乗り越えなければいけない壁にあたることもあると思います。本校には遠方から進学してきている宿舎生も多くいます。保護者の皆様、教職員、関係者と連携を取り、生徒の成長につなげていきたいと思います。それぞれの生徒が強い願いを持ち、それぞれの分野で個性を発揮して唯一無二の存在を目指す、それが作陽学園高等学校です。保護者の皆様には、本校の教育方針を十分に御理解いただき、御支援・御協力をいただきますようお願い申し上げ、式辞といたします。


2025年4月8日

作陽学園高等学校 校長 野村雅之


2025年4月7日月曜日

いよいよ新年度

  新年度が始まりました。円通寺公園の桜も見事に咲き誇っています。良寛さんの修行した歴史ある円通寺、北前船の寄港地であった玉島港と近代的な工業地帯を見渡せる斜面に桜が美しく咲き、斜面に座っていつまでも見ていられる景色です。作陽学園高校の玉島開校3年目の春を迎えました。

 作陽学園高校は今年度も思いっきり生徒がいろいろな活動ができるよう準備をしてきました。生徒が「思う存分自分のしたいことができる学校」を目指している本校ならではの仕組みをいくつか加え整えました。倉敷市玉島に移転して3年目、作陽学園高校はまだまだ進化します。







2025年3月31日月曜日

新年度

 2025年度が始まります。校内の木々や地域の木花も春モードになってきました。本校周辺、北側の斜面は桃の花が鮮やかな桃色になってきました。この3年生は玉島校最初の入学生です。作陽学園高校の新しい流れを教職員とともに作ってきてくれました。その3年生を中心に新たな仲間が加わり、2025年度に臨みます。

2025年3月1日土曜日

2024年度卒業式

 二〇二四年度 卒業証書授与式 学校長式辞


学校近隣の桃の花のつぼみが少しずつ膨らみつつある今日の良き日、作陽学園高等学校第77回卒業証書授与式をご来賓の方々の御列席のもと挙行できますことは、卒業生はもとより、教職員にとりましても大きな喜びであります。

皆さんは高等学校の過程を無事終了し、本日の卒業式を迎えることができました。この卒業式は本校の歴史の中では第77回となりますが、作陽学園高校の津山校に入学した最後の学年の卒業式です。卒業生の皆さんは本校にとって大きな転換期を我々教職員とともに乗り切った歴史を作った卒業生です。また皆さんの高校進路選択の時期は、新型コロナウイルス感染症が社会に大きな影響を与えている時期でした。またその時には本校が移転することを発表しており、皆さんが高校2年生になるタイミングで新天地に移り、ほとんどの生徒が住む場所を変え引っ越しにしなければならないという条件付きでした。その中で作陽学園高校への進学を決断してくれました。今日は卒業生の皆さん、保護者また関係者の皆さんに対しまして「ご卒業おめでとうございます」という思いとともに「作陽学園高校に来てくれて本当にありがとうございました」と感謝の気持ちでいっぱいです。

作陽学園高校の始まりは昭和5年、1930年までさかのぼります。当時日本では、明治維新後に急激に産業の近代化が進みました。大正時代には第1次世界大戦が起こり、日本の産業革命がさらに加速しました。その時代に創設者である松田藤子先生は、産業が発達し豊かな社会になればなるほど、知識や技術だけではなく、人間性を高める心の教育が重要であると考え、学校を創設しました。当時の産業革命と中身やスピード感は違いますが、現代はIT革命、産業のAI化が加速して進み、新たな産業構造へと変化しつつあります。コロナ禍とよく比較されるスペイン風邪の大流行も大正時代でした。さらに現代の日本は、どこの国もまだ経験していないような少子高齢化が進んでいます。既存の価値観や働き方が変わりつつあり、見通しを立てにくい世の中になっています。こんな時代だからこそ、普遍的に必要である人間性の向上とたくましく生きていくための人間力を身に着けることが求められています。このような背景があっての移転事業でした。

移転事業が本格化する前の津山校舎にいた頃に皆さんによく言っていたことがあります。移転という大仕事を「壮大な修学旅行のように」と言っていました。修学旅行とは平素と異なる生活環境の中で仲間と協力してどのように生活していくか、また訪れる地域の特色などに興味を持ち、地域方々と交流を持ち、その経験をその後に活かすということを目的としています。慣れない場所で、初対面の人と打ち解け、新しい自分を発見するという学びが修学旅行の目的です。1年間過ごした津山校舎から現在の新校舎へ地域を飛び越えて新しい環境に移ったという経験は、まさしく壮大な修学旅行といえるものだったのではないかと思います。移転の際には各自の引っ越し作業と同時に学校の引っ越しも手伝ってくれました。新校舎1年目では全く新しい環境で、昨年の卒業生と教職員とともに新しい生活習慣、学校生活を作り上げていくという未知の取り組みをしてくれました。学校指定宿舎で生活している生徒も多く、学校だけではなく日常生活も全く新しいものとなり生活リズムを作るのも大変だったと思います。中でも一番私が心配していたことは、新しい場所に多くの高校生が来るということでこの地域へにうまく溶け込むことができるかどうかということでした。しかし卒業生の皆さんの新しい生活に慣れる適応力には驚かされました。地域に溶け込めるかの心配は、地域の方々への皆さんの大きなあいさつで早々にかき消されました。

これから皆さんは3年間共に過ごしてきた仲間と別れ、新たな場所に向かって巣立っていきます。君たちは、新たな場所で、初めて出会う人たちと仲間となり、そこで必要とされる人間として自分自身を成長させる場として学びがなければいけません。そういう意味でとらえれば、人生こそが「壮大な修学旅行」であるのかもしれません。新しい場に興味を持ち、出会う人に興味を持ち、自分自身の仕事に興味を持ちとあらゆることに興味を持ち、向上心を持ち学びの姿勢で取り組んでください。全国のどこもしたことがない大事業を生徒として経験した君たちはこれからの人生をたくましく生き抜く学びを得たことと思います。強い思いを持ち、自らを成長させ、ぶれずにやり続ける、作陽学園高等学校の校訓「念願は人格を決定す 継続は力なり」を実践してください。

君たちの大いなる飛躍と、成功を祈念いたしまして、式辞とさせていただきます。


令和七年三月一日

作陽学園高等学校

校長 野村 雅之