二〇二四年度 卒業証書授与式 学校長式辞
学校近隣の桃の花のつぼみが少しずつ膨らみつつある今日の良き日、作陽学園高等学校第77回卒業証書授与式をご来賓の方々の御列席のもと挙行できますことは、卒業生はもとより、教職員にとりましても大きな喜びであります。
皆さんは高等学校の過程を無事終了し、本日の卒業式を迎えることができました。この卒業式は本校の歴史の中では第77回となりますが、作陽学園高校の津山校に入学した最後の学年の卒業式です。卒業生の皆さんは本校にとって大きな転換期を我々教職員とともに乗り切った歴史を作った卒業生です。また皆さんの高校進路選択の時期は、新型コロナウイルス感染症が社会に大きな影響を与えている時期でした。またその時には本校が移転することを発表しており、皆さんが高校2年生になるタイミングで新天地に移り、ほとんどの生徒が住む場所を変え引っ越しにしなければならないという条件付きでした。その中で作陽学園高校への進学を決断してくれました。今日は卒業生の皆さん、保護者また関係者の皆さんに対しまして「ご卒業おめでとうございます」という思いとともに「作陽学園高校に来てくれて本当にありがとうございました」と感謝の気持ちでいっぱいです。
作陽学園高校の始まりは昭和5年、1930年までさかのぼります。当時日本では、明治維新後に急激に産業の近代化が進みました。大正時代には第1次世界大戦が起こり、日本の産業革命がさらに加速しました。その時代に創設者である松田藤子先生は、産業が発達し豊かな社会になればなるほど、知識や技術だけではなく、人間性を高める心の教育が重要であると考え、学校を創設しました。当時の産業革命と中身やスピード感は違いますが、現代はIT革命、産業のAI化が加速して進み、新たな産業構造へと変化しつつあります。コロナ禍とよく比較されるスペイン風邪の大流行も大正時代でした。さらに現代の日本は、どこの国もまだ経験していないような少子高齢化が進んでいます。既存の価値観や働き方が変わりつつあり、見通しを立てにくい世の中になっています。こんな時代だからこそ、普遍的に必要である人間性の向上とたくましく生きていくための人間力を身に着けることが求められています。このような背景があっての移転事業でした。
移転事業が本格化する前の津山校舎にいた頃に皆さんによく言っていたことがあります。移転という大仕事を「壮大な修学旅行のように」と言っていました。修学旅行とは平素と異なる生活環境の中で仲間と協力してどのように生活していくか、また訪れる地域の特色などに興味を持ち、地域方々と交流を持ち、その経験をその後に活かすということを目的としています。慣れない場所で、初対面の人と打ち解け、新しい自分を発見するという学びが修学旅行の目的です。1年間過ごした津山校舎から現在の新校舎へ地域を飛び越えて新しい環境に移ったという経験は、まさしく壮大な修学旅行といえるものだったのではないかと思います。移転の際には各自の引っ越し作業と同時に学校の引っ越しも手伝ってくれました。新校舎1年目では全く新しい環境で、昨年の卒業生と教職員とともに新しい生活習慣、学校生活を作り上げていくという未知の取り組みをしてくれました。学校指定宿舎で生活している生徒も多く、学校だけではなく日常生活も全く新しいものとなり生活リズムを作るのも大変だったと思います。中でも一番私が心配していたことは、新しい場所に多くの高校生が来るということでこの地域へにうまく溶け込むことができるかどうかということでした。しかし卒業生の皆さんの新しい生活に慣れる適応力には驚かされました。地域に溶け込めるかの心配は、地域の方々への皆さんの大きなあいさつで早々にかき消されました。
これから皆さんは3年間共に過ごしてきた仲間と別れ、新たな場所に向かって巣立っていきます。君たちは、新たな場所で、初めて出会う人たちと仲間となり、そこで必要とされる人間として自分自身を成長させる場として学びがなければいけません。そういう意味でとらえれば、人生こそが「壮大な修学旅行」であるのかもしれません。新しい場に興味を持ち、出会う人に興味を持ち、自分自身の仕事に興味を持ちとあらゆることに興味を持ち、向上心を持ち学びの姿勢で取り組んでください。全国のどこもしたことがない大事業を生徒として経験した君たちはこれからの人生をたくましく生き抜く学びを得たことと思います。強い思いを持ち、自らを成長させ、ぶれずにやり続ける、作陽学園高等学校の校訓「念願は人格を決定す 継続は力なり」を実践してください。
君たちの大いなる飛躍と、成功を祈念いたしまして、式辞とさせていただきます。
令和七年三月一日
作陽学園高等学校
校長 野村 雅之