2023年3月31日岡山県作陽高等学校として最後の日です。写真を撮りながら校内を回ると、いろいろな思い出が蘇ります。
高校3年間を過ごした卒業生の思いもしっかりと引き継ぎながら作陽学園高等学校として前に進みます。
新しい校舎で活動するということの実感が強まっています。受け入れの準備の真最中ではありますが、生徒の皆さんを迎え入れる準備は着々と進んでいます。新入生だけではなく、在校生もまだ様子がわからない人が多いとは思います。楽しみにしてもらうのと同時に、新たな始まりのための準備を各自でもしっかりとしてもらいたいと思います。
3月1日水曜日に岡山県作陽高等学校として最後の卒業式を行いました。永年みてきた感動的な卒業式の光景ではありますが、その中でも特別の思いがありました。多くの卒業生が青春の思い出を作った校舎が、心なしか寂しげに感じました。卒業生の皆さんは津山での作陽高校の思い出を大切にしつつ、新しい校舎にもぜひ足を運んでもらいたいと思います。
2022年度 卒業証書授与式 学校長式辞
春の息吹を感じる今日の良き日、岡山県作陽高等学校第75回卒業式を挙行できますことは、卒業生はもとより、我々教職員にとっても大きな喜びであります。あらためまして卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
この卒業式にご列席いただきました保護者の皆様方をはじめとして、卒業生の成長を楽しみにしてきた多くの方々にも心からお祝い申し上げます。
皆さんは入学直前から新型コロナウイルス感染症による影響を受けはじめました。入学直後に同級生の名前も覚える間もなく休校となりました。高校生最後の行事である本日の卒業式も若干の制限をかけさせて頂いています。このコロナ禍により、高校3年間の学校生活に多くの制限がかけられ、将来思い出として語られる皆さんの高校生活は、新型コロナウイルスを抜きにしては考えられないものとなってしまいました。貴重な高校時代に全世界を覆う歴史に残る出来事に遭遇しました。
また君たちの学年は、作陽学園の93年の歴史において、歴史的な学年でもあります。作陽高校の始まりは昭和5年、1930年までさかのぼります。当時日本では、明治維新後に急激に産業の近代化が進みました。大正時代には第1次世界大戦が起こり、日本の産業革命がさらに加速しました。その時代に創設者である松田藤子先生は、産業が発達し豊かな社会になればなるほど、知識や技術だけではなく、人間性を高める心の教育が重要であると考え、優秀な洋学者を輩出していた、ここ津山に開学しました。それから93年を経て、本日津山での最後の卒業式となりました。
開学したころと時代は違いますが、現代も新たな産業革命ともいえるIT革命、産業のAI化が進みつつあります。また今回のコロナ禍とよく比較されるスペイン風邪の大流行も大正時代でした。現代の日本では、どこの国もまだ経験していないような少子高齢化が進んでいます。既存の価値観や働き方が変わりつつある、見通しを立てにくい世の中になっています。こんな時代だからこそ、より人間性が重要であると思います。
卒業し、新たな場所に置かれるみなさんに「作陽高校校歌三番」の歌詞を今一度説明し、それを贈る言葉としたいと思います。現在の校歌は今から59年前の1963年、昭和38年の男女共学一期生入学年度に校歌と制定されました。その当時の歌詞に現在の世相に当てはまること、そしてどのように生きていくべきかが示されています。
五濁(ごじょく)の海は荒くとも
不動の信念われにあり
静寂和敬(せいじゃくわけい)の精神(こころ)には
さへぎる波もあらじかし
最初に出てくる五濁とは仏教用語です。社会が混乱するときにおこる五種類の乱れを指しています。難しい言葉ですが、劫濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、煩悩濁(ぼんのうじょく)、衆生濁(しゅうじょうじょく)、命濁(みょうじょく)という五種類の世の中の乱れを指しています。一つ目の劫濁(こうじょく)とは時代的困難や飢饉、今まさに東ヨーロッパで起こっているような戦争やこの3年間世界を苦しめた新型コロナウイルス感染症のような疫病などの、時代や社会の大混乱を指します。二つ目の見濁(けんじょく)とは、思想の乱れを言い、悪意に満ちた間違った見方や考え方が常識となってはびこる状態を指します。三つ目の煩悩濁(ぼんのうじょく)とは、欲望や憎しみなど、人々の煩悩が渦巻く社会になることを指します。四つ目の衆生濁(しゅうじょうじょく)とは、人びとの良心の資質が衰えた世の中になることを指します。五つ目の命濁(みょうじょく)とは、生命が軽んじられ、生きていることのありがたさや意義が見失われるような状態を指します。
これから新たな場所に置かれる君たちは、自らの道を自ら切り開き、たくましく自分の世界を築いていかなければなりません。コロナ禍により今までの習慣や、場合によっては価値観までが変化しています。将来の見通しが立てにくい五濁の海ともいえる実社会という大海原に飛び込もうとしています。改めて三番の歌詞をかみ砕いてみますと、「このような困難が渦巻く世の中でも、ぶれない心を持ち続け、落ち着きを保ち、人を敬う心を持てば、君たちの前に立ちはだかるものはない。」という意味になります。
一方で、この3年間のコロナ禍の高校生活を過ごした君たちは、大きな可能性があるともいえます。生活様式が変わったこの3年間のおかげで実社会という大海原は大きく変動しました。変動は改革のチャンスです。自分を変える、周囲を変える、固定観念にとらわれている社会を変えるチャンスでもあります。ぶれない心を持ち続け、人を敬いながらも開拓者精神を持ち、実社会という大海原に臨んでもらいたいと思います。
その大海原を進んでいくために必要なものは、やはり3年間常に君たちに伝えていた「人間性」と「人間力」です。人間性、即ち利他の心を磨けば、どんな環境でも周囲から大きな信頼を得ることができます。豊かな人間性は、荒れている五濁の海において、君たちの周りの荒波をきっと穏やかなもとしてくれます。また人間力とは、人とかかわりあいながら力強く生きていくための力です。多くの情報、多様な価値観が渦巻く現代で、自分の考えを魅力的に表現できる人は、多くの人々を引き付け、巻き込み、大きな力を持つことができるようになると思います。人間力は、荒れる大海原でもしっかりと漕いで行くことのできる大きな力と必ずなるはずです。
そして強い思いを持ち、自らを成長させ、ぶれずにやり続ける、作陽高校の校訓「念願は人格を決定す 継続は力なり」を実践してください。
君たちの大いなる飛躍と、成功を祈念いたしまして、式辞とさせていただきます。
2022年3月1日 岡山県作陽高等学校 校長 野村雅之